散歩道

到着してバイクをガレージにとめればこれからの時間はのんびりと温泉や近くをウオーキングするもいいのでは・・・・・!!
ライダーズハウスよりウオーキングできますよ、案内板もあります。DSCF0481.JPGuramichi.jpg3.JPG

いらっしゃいませ

あづみのライダーズハウスです。
朝は野鳥のさえずりで目覚め、
朝食前に森のおいしい空気の中を散歩。
静かな環境が、どこまでも澄み切った青空が、
時間を忘れさせてくれます。

安曇野でトレッキング、ツーリング。
そして森の中を徒歩数分の温泉にのんびり。
夜には満天の星の下、仲間と楽しいひととき。

1人1人のお客様にきめ細かなサービスと、
アットホームな暖かさを感じていただけるよう
努めています。
料理には作る人柄がでると、真心を込めて。

バイク、自転車好きのわたしたちが、
みなさんをお待ちしています。

石川県北陸山中温泉真夜中自転車ツーリング?

4月とはいえまだ肌寒い初旬にドラマの幕開けです。
今年で還暦を迎える某建設会社の社長が石川県山中温泉の名門旅館での宴会の席で、
俺はまだ若い今度は自転車で来るでーと、よせば良いのに女将ゃ仲居頭ゃ板長に言ってしまいました。
そしてこんな約束までして。
もし無事に到着すればスイートルームで、夜は板長の特別料理そして朝はすき焼きを食べさせる事。
酒の席の話とは言えども自転車で山中温泉は大変だと社長を仲間達が説得しても、
行くんゃーの決意は変わらん見たいなので、冗談だと思い再度聞いても本当に行くんゃー
ほんなら行くかと言ったら?
あぁーー行くでーー、お前らも行くんやでー、と聞かされ勘弁してよー、
と言いたい所を状況と空気が断る言葉を見つけ出せずに半ば強引に行くことになりました。

後日に教えてもらいましたがこんな約束したのは俺には仕事以外に本気で遊んでくれる友達がいることを、
女将を良く知っている社長は見せたかつたんゃー、と聞かされました。
かくして山中温泉自転車旅行の幕開けとなりました・・・・
4月12日の午後20時に京都より自転車を乗る男4名、スタッフ2名、
搬送車1台、先頭車1台で出発しました。

 

紀行文
当日は天気も良く星空がとても綺麗で風も無く良い条件でした、
参加者が仕事を終えて1時間前より集まっていました、
見送りの家族や仕事関係の人達や自転車仲間も来ていました。
そして最後のミーティングで各自が決めた約束事を確認して、一路山中温泉目指してペダルを踏み出しました。

メンバーは建設会社社長、整体士、喫茶店マスター、
サラリーマンのわたくしで4名、車で伴走してくれる運送業の兄ちゃん、
搬送車を転がしてくれる金融業社長とで総勢6名で京都から逢坂山を越えて滋賀県に入り161号線を福井県敦賀市にと進むのですが夜の国道は以外と長距離トラックが多く、道幅の狭い国道では風にあおられ、小さなライトで走行する自転車には思いのほかに緊張しましたが、やがて琵琶湖の湖岸を走る湖西道路に出たときは真夜中に大人が自転車に乗って静かな道を月明かりの下で走っているとは、何とも楽しいではありませんか時々搬送車が我々の後方よりヘットライトで照らしてくれるので有り難かったし、大変心強いですが、自転車のスピード(25キロ位)で走行するのだから大変だ、本当にご苦労さんですと思いました。
民家の明かりも消えた街中を走るのも夜中ならではなので、車や、歩行者に気を取られる事無く道一杯に走れることが出来ますが時々車も来るので注意も必要かも、しかし車の運転者もこんな夜中に自転車を派手な格好で、電飾を点滅させながらの4台と遭遇したらどうなんだろうか?
私くしはとても薄気味悪く恐怖心すら感じることでしょう、しかし日本は本当にそう思うと安全な国だと改めて思いました一番危ないのは私たちかも知れない。
そうこうして走っていると夜中の0:00時に今津町を通過して、いよいよ滋賀県より福井県に行くために越え無ければいけない峠、国境より敦賀峠にと立ち向かうのですがこの区間は本当にきつく怖い思いがしました。
トラックがどんどん、うじや、うじゃと追いかけては追い抜く訳ですが対向車線もトラックがどんどん、うじや、うじゃ・・・・
道路が狭く急カーブで数回トラックを止めたりもしました、トラックがカーブを勢いよくまわれば自転車4台が目に飛び込んでくる、カーブで追い越せば内輪差で自転車を巻き込んでしまう、トラック運転手にしては迷惑であり危険な事ばかり、まさかこんな夜中に峠を、トトロじゃあるまいし猫バスにしか見えないのだろう!!
しばらくするとだれとなく身体の危険を感じて、提案・・・、
審議の結果ここは車で搬送する事にしました。
勇気ある決断だと皆で納得しましたが心の中は、良かった・・・・が本音。

夜中の2時前には無事に峠を下った所の敦賀バイバス入り口より再スタートをしました。
やがて左手に真夜中の日本海を眺めながら国道8号線を相変わらず長距離トラックの中を走り抜いて8号線とは別れて(よかった)
今回のハイライトでもある越前海岸有料道路を走り、貸切状態の国道305号線を一路石川県三国町目指して自転車の旅は続きます。

真夜中でも誰一人と眠気も訴える事なく後方よりの伴走車のライトに守られて、左には相変わらず真っ暗な日本海を眺めながら、道路も猫一匹も通らない貸し切り状態なので各自の思い思いのペースで、足取り軽くペダルを踏み込んでの真夜中のサイクリングが続きます、河野村を過ぎたあたりでは4名はかなりバラバラの状態で楽しんでいたのですが、先導車がもう少し固まって走らんとはぐれてしまうでぇーとの助言の甲斐もなく・・・・
休憩ポイントで暖かい飲み物と、バナナを食べながら待つこと数10分、おかしい喫茶店のマスターが来ない、まさか海に転落したのでは、いや身体が冷えてトイレ?
しかし遅い、百戦錬磨の強者がどうした?
蛍のともしびと、すこぶる明るい二本の光軸、来た、来たでぇーーと、誰かの雄叫びと同時に全員が総立ちで出迎えるとマスターいわく、あんまり静かで気持ちよくなったのでついつい居眠りしていたら漁村の船着き場に軟着陸してしもうたんや、との弁明でしたが後ろに付いていた伴走車によると、突然ふらふらと右、左にと蛇行運転が始まり警笛で知らすが反応なし、やばいと思った時はすでに視界から消えてしまったのであわてて駆けつけてみると、防波堤に自転車と共に仲良く絡みついていたとの事を聞かされました。
要するに居眠り運転でしたが、怪我もなく大事には至らなく自転車を点検して無事に出発出来ました。
これより先は漁村の村内を通過するので全員がはぐれる事の無いように集団走行で越前岬を目指して少し足取りが重くなったペダルを踏み込んでの走行を平和に何事も無く時間の経過も忘れて淡々と進んでいきました。
途中で10分ほどの休息をしては又走る事の繰り返しで、あんなに元気だったメンバーからは会話がとぎれがちになってきました時間は夜中の3時位でしたか、突然に後方の伴走車のライトが途切れてしまいましたが、トイレでもしとるんやろーと気にもせずに走っていると、何とこんな真夜中にシルバーのベンツ600SL・AMGツードアの珍しい車がボッシュの甲高い警笛をピコピコ鳴らして我々の前に滑り込むように割り込んで来た時はさすがの我々も顔面蒼白、止まりよったでー、どうするんやろかー、伴走車が何かしたんやろうか?
寒さと眠気で走行していたので後方の出来事など誰も見ていなかったので心配していると(本当は自分たちの事を)ナンバーを見て全員にっこり笑顔・・・
○○はんや!
久しぶりのご対面でスタッフと我々も日本海の波音の聞こえる駐車場でいつもの馬鹿話に話が弾み、今までの眠気と疲労感を忘れてしばし夜中の宴会が始まりましたそして一同感動したのです○○はんは我々が出発した時間に間に合うように香港から一人早く帰って来て見送る予定が、事情で遅れてしまい見送れんかつたので北陸自動車道から305線とばして今追いついたんや、との話に一同感謝と敬意を感じずにはいられませんでした。
自転車の4名はあまり食べられないのでスタッフの2名にゆだねて色々と自転車の話に華を咲かせていると、差し入れやー、と香港で買ってきた牛の臓物から取り出した貴重で、凄く高価な漢方薬を頂きましたが怪しげな物(精力剤)だったので後日に飲むこととしておみやげとして持ち帰りました。
そして時間は過ぎ去り4時を過ぎていたので日の出まで車内で仮眠することにしました。
○○はんはここで帰るわ!
と言って旅館に着いたら皆んなで美味しい物でも?
食べやー、と大枚数枚建設業の社長に手渡して図太いトルクのエンジンノイズを残して風のごとく闇夜にカッ跳んで行きました。
遊びのつもりで始めた今回の企画がこんなにも人に感動を与えるとは考えても見ませんでしたので、改めて気持ちを引き締めて完走を決意した次第です。

いよいよ最終目的地北陸山中温泉は近い、果たしてこれから順調に到着するのでしょうか?
夜明けの気持ち良さも手伝い自分でも信じられないハイペース
後ろを振り返ると誰もついて来ない、気をよくして一人足取り軽く、ペダルも軽く、
しかしおかしいやん??!
いつもなら誰かが負けじとついて来るはずなのに・・・・・
気がついた時には遅かりし
今回は俺がやられてしまった、不覚だった、無念じゃー
そうなんです、これでは終わらないのが恐ろしい事しかりで・・・・・
全員が追いつき小休憩しながら雑談していると・・・・・
そのとき間髪を入れず喫茶店のマスターがえらいことを提案しょる、車組も含めてここまで全員が無事にこれたので後少しの距離(約20km)を残して北陸山中温泉、翠明にゴールする事になるんやが最後に4名でレースしないと言い出したので、やばいやんと思い、俺は後少しで無事にゴール出来るのでここは全員が喜びを噛みしめて走ろうと言っても誰一人として聞き入れてもらえずに社長の一声でレースする事になり、顔面蒼白、身体はだるい、自慢の足は上がってしまっている。
ダッシュすれば酸欠状態になる、要するに先ほどの頑張りで体内に乳酸が蓄積してしまい半日は乳酸が体内から抜けない状態でしかも最後の5kmはただひたすらに登り、しかしこのメンバーで泣き言は言いたくないのでやせ我慢して面白そうなのでやりまひょ!
の一声、本当に馬鹿である。

幕は落とされた、全員が最後のラストラン、こちらも負けじとペダルを精一杯踏み込み、先頭争いに加わるがしばらくしてまたもや足が硬直しだしたが負けじと頑張るが離れていく、やがて最後の登りにさしかかった時には意識もうろう、酸欠状態で、身体が脱水状態、たまらず自転車から降りてその場にへたり込む、心配そうに後続に付いていてくれた伴走車の運送屋の兄ちゃんが、顔色よくないでっせ、無理せんとここまで来たのだからフラフラして自転車を転がしても危ないし、落車するでーーと優しく助言、俺の車に自転車積んで旅館まで運んで行こうか?
嬉しいお言葉でしたがここまで来て今夜の宴会のさかなにはなりたくない、歩いてでも行こうと強く自分自身に言い聞かせて、兄ちゃんに伝えると、社長が多分バテよるからその時はこれ飲ましてやれと預かっていた特性のローヤルゼリーと紅茶を混ぜたドリンクを飲ましてもらった時は、何とこしゃくなタイミングが良すぎるやんか・・
有り難いと感謝しつつも悔しい気持ちとで複雑な心境で、残りの数キロの登り坂をママチャリのおばちゃんや、爺さんに追い越されながらにもリタイヤする事無く最終目的地の山中温泉街、あやとり橋を左手に見ながら旅館翠明に最後にゴーーールしたのでしたが・・・・・
何と玄関前に20数名の出迎えや、太鼓の音、拍手の音、確かに聞こえた、やっとこれで終わったと感動すると同時にその場にヘタリ込んでしまった、周囲で何か大勢が言っていたがしんどさと、ホッコリした安心感で今でもハッキリとは記憶にないが、何となく感激した事は身体が覚えている、しばらくするとロビーでスタッフを含め総勢六名が感激の中、何故か大福饅頭?
そして熱いお茶を頂き女将から花束を全員が貰い記念撮影して、自慢の温泉にスタッフと我々が入りその夜は疲れているはずなのに大宴会、全員が夜遅くまで自転車の話や、おいらがバテた話で盛り上がり誰一人と寝る者は居なかった。

最後に・・・・・

はじめは冗談半分、遊び気分でスタートしたのでしたが時間が経過していくと、身体も疲れ、ペース配分の事や体調維持、スタミナの確保、そして何よりもチームワークの大切さを改めて思い知らされ、それ以上に好きな事に本気になれる仲間がいる事を再確認出来た、苦しくも楽しかった自転車旅行?でした。
又、一番若い私をバテさして最後に盛り上げる、何て心憎い演出まで考えて頂き本当に楽しかった事を書いて終わります。

今から7年前の京都でまだサラリーマンしていた時代に、自転車好きが旅した事を思い出しながら
書きました
自転車でこんな遊び方も出来るので何かの参考に? なれば良いのですが・・・・・・
最後まで読んで頂いて有難うはんどした。

京都から長野県斑尾高原ツーリング

始めに
おいらのツーリングは目的地を決めるだけで基本的には無計画で、何事にも強行、ハプニングの対応も臨機応変に処理する、ですからツーリングの記録や写真は残さないで、その場限りの感動と出会いを求めて記憶に残った事だけを大切にする。

ツーリングレポートも今から7年前の記憶のみで書いたので数値やデータは信頼性に薄れるので、バイクで旅する楽しさや雰囲気を感じて頂ければそれで良いと思いますので最後までつまらないかも知れませんがおつき合いを宜しくです。

 

七月の梅雨も空けないある日、同僚と旅行の話をしている中でバイクの話になり、おいらはバイクの楽しさや感動を熱ぽく話していると、同僚が突然学生時代に少しだけ250ccのロードバイクに乗っていた頃を思いだしその時に中型、限定解除までチャレンジして見事に合格したがバイクは乗らずに中国語に興味を持ち今日まで中国の歴史や文化、などをに時間を使って来たが、バイクの楽しさが蘇ってきたのか突然今からななはん買いに行くので仕事が終わったら一緒に買いに行こうと言い出した。

今のバイクの知識も無いので車種はおいらに任すと言われて二度びっくり!

ななはんといっても安くはないけど百万円位は出せるかと訪ねると、ええよとの返事、これは本気だと思いその日のうちに仕事帰りにバイクやに行く約束をしたのでしたが、この同僚に一番良いバイクはと考えた結果レプリカタイプは取り回しがきつい、アメリカンはやはりハーレーだろうし国産は改造に金もかかる、乗りやすく長く付き合えるバイクとしてカワサキゼファー750ccを勧めることにした、ネーキッドは飽きが来ないし何せ取り回しがとても楽なのでカワサキゼファー750ccで決まり、色はブラックでホイルは昔ながらのスポークタイプの物が良い、2万ほど高いが値打ちはある。

そして5日ほど通勤に使った所で、ツーリングに誘うと、答え一発行きまっせ!よっしやそうしたらおいらの連れも誘って三人で長野に行こうやーー、それでええやろう・・・・・ええで、行こうで決まり。

連れはヤマハXJ1300でおいらがホンダVTR250、この3台が今度の第3金曜日仕事が終わってから夜の23時に滋賀県大津市の浜大津に集合、行き先は長野県斑尾高原2泊3日旅。

そして約束の時間においらと、同僚と、仏に仕える坊さんの三名と排気量の違うそれぞれ個性のあるバイク3台とで夜の11時に浜大津から瀬田まで行き近江大橋有料道路を渡り琵琶湖を左手に眺める湖岸道路を取りあえず長浜に向かって元気良く、希望に胸踊らせ出発。

七月とはいえ梅雨も空けない夜中の湖岸道路は風が冷たく少し寒いくらいでしたが、道路が貸し切り状態なので少しスピードを上げての走行でしたが、同僚がバイクに乗り始めてまもない事と慣れない夜中の走行で少し遅れ気味になってきたのでスローダウンしてしばらくは景色も見えないので歌でも口ずさみながらの走行を続けて行くうちに無事に長浜郊外に到着しました。

三十分ほど休憩するとここで提案、このまま湖岸道路を走り木之本まで行きそこから余呉湖を通り余呉スキー場をかすめて滋賀県と福井県の県境の峠を越えて今庄まで抜ける国道353号線で行くルートか、長浜市内より米原まで戻り国道21号線より犬山市を越えて川下りで有名な日本ラインに沿って走り、峠越えをして多治見市より国道19号線を信州目指して行くか選択してもらいました、結果今庄コースに決まり、おいらは内心ホッコリと致しました。

見通しの悪い二級国道の峠越えには250がぴったりだから、これでいいのだ!

夜の01時までに木之本に到着してガソリンを補給する事で全員またまた元気良く夜の闇夜に軽快な排気音を響かせて消え行った。

やがて予定より早く木之本に着きガソリン補給しようとスタンドを探し見つけても看板の電気が消されて終了している店ばかり・・・・まいったよーー

おいらの読みが甘かった、北陸自動車道路の木之本インターがあるから24時間スタンドは営業していると思っていたのが見事、ハズレ!仕方がないのでここは缶コーヒーを飲んで対策会議。

プラン1* このまま峠を越えて計画通りに今庄まで走りそこから福井市内まで行きガソリンを給油するか?
プラン2* 安全策で今庄から北陸自動車道路に入り今庄サービスエリヤでガス補給するか?だが・・・・

一番タンクの小さなおいらのバイクが出発前に満タンにしていなかった、こんな事みんなにどうして言えようか、木之本ですべてが狂ったのだ!恥はかきたくないので最年長のおいらがうまく話をたぶらかして?
先はまだ長いこんな所で賭は出来ない、ここは安全確実にプラン2で行こうと誘導尋問で何とかばれずに済んだが、一人苦笑いしてしまった。

無事サービスエリヤで満タンしたが何と後3Lもガソリンが残っていなかった事でこれで本当に良かったが、2名はほとんど半分位しか入らなかった、150KMは余裕で走れる距離だったので悪い事をしたと反省。

スタンドからはひきつづき高速道路を各人、自己責任で福井インターチェンジの料金所出口で再会を約束してフリー走行で行くことにしました。

おいらはアクセル全快、でも150KMまでの世界で楽しんでいたのですがXJ1300はすっ飛んで行ったが750が追いついて来ない、無理はするなと言っていたのでマイペースで楽しんでいると確信して取りあえず福井インターを目指した。

料金数千円を支払いお坊さんと再会し同僚を待っているとしばらくしてやってきましたが、間口一番プラグがカブっているでぇーー。坂になると全然吹かないし、追い越しかけても加速が悪くスピードがなかなかでよらん!

二人ともそんなことはないやろー

まだ新車やし、それはないやろー? と思いながらもまさか排気量が大きいのでトルコンの車みたいにミッションを変えずに6速のままで乗っていたんとちがうやろうなーと聞くと、帰ってきた言葉に唖然、当たり!高速はスピードが出るのでギャーかえんでもええのとちがうのん?

その場でバイクのメカニズムの基本を教えて次の目的地石川県金沢市まで国道8号線を一気に走る事を確認してお行儀良く三台連ねて走って行く事にしました。

ちょうど金沢市手前30km位でしたか、ポツポツと冷たい物が降ってきた時は、やはりこの時期は仕方が無いのか、天気予報も明け方には崩れると言っていたのが当たりよったか、と思いながら走っていると突然スコールのような大雨、日本海側の雨はまだ冷たいので急いで無人のガソリンスタンドに飛び込んだかよく考えるとスタンドには大きな屋根はあったが雨が風にあおられて横殴りでしかも寒い。全員それぞれ自慢の雨具を出して雨支度する。

おいらの合羽はホームセンターなどで売っているビニール製ツーピースでサイズをワンランク大きめの物を使用しているのです、耐水性はピカイチ、真夏でも無い限り蒸れないし、何せ脱着が早い、ブーツカバーの代用にコンビニの袋を足首で太めの輪ゴムで止めておく、これで結構靴は濡れない。
しかし耐久性には問題ありますが短時間でしたら結構ぐぅーー!!
グローブは皮は水分を嫌うので滑り止め付きの軍手を使用する。
首周りにはタオルを巻いておく。

おいらは数年来このパターンです。

他の二人は高級なゴアテックス素材とミクロテックス素材を使用していたがピッタリし過ぎて濡れた身体には脱着しにくそうである、それとやたらとホツクや袖口などベルクロスで止めなければならないので大変だが、着てしまえばカッパの王道を歩んでいる。

全員カッパを着用してしばらく走り、どこかの無人のJRの駅舎を探してそこで仮眠する事にしたのでした。
時間は夜中の03時位で睡魔がそろそろと出てくる時間帯なので。
ここは急がずに寝ることに全員が賛同した。

駅舎はすぐに見つかりバイクを停めて各自が駅舎のベンチに身を任せてしばし夢の時間を過ごして2時間位睡眠をとり、目覚めると薄明かりになっていましたので取りあえず1番列車が来ない内に荷物をまとめて、一番若いお坊さんがコンビニを探して朝食を買ってきてもらうまで駅舎で待つことにしました。

しばらくして朝食を調達して帰って来ましたのでご苦労さんとほめてやりましたら、これも仏の慈悲だと訳のわからん事をつぶやいていました。
そして駅舎にはまだ人影も無いので三人がバイクの話をしながら楽しい朝の時間を過ごし、再び次の目的地富山県、富山市を通り滑川を目指しよいよ日本海の眺めがすばらしい朝日町とまだまだ元気な3名はお世話になった駅舎を後にしました。

そのころは空はすっかりと明るくなって雨もやんでいましたのでハッピーな新たなる旅立ちでした。
やがて我々一行は給油も済ませて軽やかに走り続けて富山市を目指して、朝の爽やかな時間を今過ごしているのだと思うと意味も無く楽しくなり、ついついとオーバースピードの走りになってしまうのは意志の弱さか、バイクの持つ魅力なのかわからないけれども快適。

しばらく国道8号をこんな調子で走っているとやはり試練がやって来た、朝の通勤ラッシュで富山市内は渋滞していてスピードが上がらないし、3台のバイクは道路の左端を1列になり徐行しながら抜いても、抜いても終わることの無い車の列を走り抜けていると突然の雨!
急いでカッパを着る場所を探すが見当たらない、仕方がないのでまだ開店していないお店の駐車場と軒下を借りて素早くカッパを着る、どんくさいななはん君はいつの間にかカッパを着るのが早くなっている事に気づき妙に感動したりしてふたたび全員が雨の市内を車の洪水の中に消えていく。

渋滞は郊外に出ても続いているので雨の中危険な左測走行を止めて公園にバイクを停めてしばらく休憩する事にしました。
公園では車で旅している兄さん達や営業車で移動しているおっちゃん、トラックの運ちゃん達が公園の水道で顔を洗ったり歯を磨いたりトイレで用をたしたりと朝の光景が目に映りました、我々も顔、歯、トイレと思い思いに朝の作業をしてしばらく自販機の缶コーヒーを買ってベンチに座りこれからの計画を相談する事に致しましたが、ほとんど独断でおいらのプランを押しつけるやり方は出発時と変わりありませんが、結果的に今まではうまく行っているので今後もこのパターンで事が運ぶ事を確認したようなミーテングを済まして後はバイク談義で華を咲かせていましたところ、いつの間にか雨も止み力強い太陽が顔を覗かしてくれたので設備の良い公園を後に少し日差しが熱い国道8号線を魚の美味しい魚津、すいかの滑川、そして朝日に入る頃には十時過ぎでしたが朝日を過ぎると道路は日本海すれすれに走り、トンネルを数多く抜けるコースで食事場所がほとんど無いので少し早い昼飯を取ることにしました。
もちろん朝日に来たならば、たら汁定食で決まり。
国道筋には大小数多くのたら汁の看板が目につきますが、我々はおいらが昔からなじみにしている店、日本海レストハウスで食べる事にしました。

このお店は駐車場がとてつもなく広くトラック野郎のたまり場でもありますので、味とボリュームは文句無しのお店だと自己満足して今までにも行く度も来ているわけです。
たら汁には白子がたっぷりと入っていて、たらもぶつ切りで入っている、そして鍋がアルミの年期の入った鍋でとても一人前とは思えない大きな鍋で食べるたら汁は最高。
他にご飯と、漬け物、そして何故かこれ又大きなカレイのフライがついて確か・・・・1300円だったと思う。
食後は畳の座敷でごろ寝が出来るのも嬉しい、ただお客が多いときは駄目ですが、ほとんどOKです。
もちろんほとんど不眠不休でここまで走って来たのでしっかりと1時間ほど全員が寝てしまいました。

目覚めると昼時で店も混み始めてきたので、店のおばちゃんに挨拶してふたたび今度は一気に糸魚川市を目差して出発する事になりました。
道路は左手に雄大な日本海を眺めての非常に車も少なく、出会う車はほとんどトラックばかりなのでたいがいは追いつけば左を開けてくれる優しい運ちゃんばかりなのでとても気持ちよく走る事が出来たのであります。
しばらくすると今度はトンネルがちょく、ちょくと現れてくるが整備が良いのでバイクで長いトンネルを走っても不安は無い、やがて親不知、子不知の名勝を左手に眺めながら又いくつものトンネルを抜けると視界が開けて来る、その先に糸魚川市がある。

ここまでの走行距離はおよそ400KMを越えた位ですか、本当に良く走った。

糸魚川市からは今度は新潟県直江津市を目差して海岸線を走るのですが所どころに漁村があり磯の香りがとても良い、又風情がありバイクもとばす事無くゆっくりと走りながら景色を楽しんでの走行でした。

バイクに乗ると風と、匂いがダイレクトに伝わりこれが又良いのです。

途中に日本海と漁村のコンビネーションが素晴らしい場所の防波堤でバイクを停めて休憩していて思ったことが、バイクは乗るためにあるのだがこんな景色の良い場所では置いてあるバイクがとても自然にとけ込んでいて何故か絵になっているのである。
思いにふけっていると初老の親父さんが我々に近寄って来て、兄さん達はどこからきたんねん!
と聞くや、間髪を入れずに自分の昔話を我々に聞かせてくれました、それは親父の若い頃にまだバイクが高価な乗り物だった頃にやはり友達と関西にツーリングした時の事を昨日のように鮮明に話してくれました、その時にバイクが故障して困り果てていた時に親切にしてもらった事を偉く喜び今もバイクを見ると思い出されるんだと、熱ぽく語ってくれたのでした。
今はバイクには乗っていないが漁船で毎日魚を捕っている、つまり漁師の親父でした。やがて話も終わると我々を自分の家に案内してくれて、美味しい魚料理を食べさせて頂きながら今度は漁師の話をしてくれたのですが、漁船が日本海の荒波を漁場へと猛スピードで駆け抜けるのがバイクで何処までも続く道を走り抜けるのと、何故か共通した思いが同じだと妙に感心しながらも親切な親父さんにお礼を言ってお腹をぱんぱんして又直江津目指して走り出しました。
やがて14時過ぎにとうとう直江津市に到着して驚いたのは、しばらく来ないうちに街も大きく変貌していた。
国道筋には大型店が色々と出来ていて、道路も広く拡張されていて妙高方面はバイバスが完成していて直江津からバイバスで新井市近くまで一気に走り抜ける事が出来ました。

しかし新潟県は本当に道路が良く整備されているのには以前から感心していましたが、さすがは・・・・・さんが総理大臣までなった県だけあると二度感心してしまいました。
そしていよいよ国道18号線とも別かれて妙高高原を野尻湖方面にバイクを走らせ、リゾートスキー場で有名なタングラムスキー場を通りこれよりいっきに斑尾高原へと山のアップダウンの道を右へ左へとバイクを倒しながら本日最後のウィニングランを全員が致しました。

斑尾高原までは一本道なのでそれぞれの技量に合ったスピードで各自が楽しみました。やがて本日の宿泊地に全員転けることなく元気に到着致しました。
時間は午後15時過ぎでしたがここまでは出発から16時間の長ーーい旅でしたが心地よい疲れと、眠気さが何よりも到着の嬉しさを倍増してくれました。

その夜は温泉に入り、美味しい夕食を食べて、寝不足ながらも夜遅くまでバイクの話に夢中になっていました。
そのころには、ななはん君もすっかりライダーとして立派に、たくましくなっていましたので又いつかはこのメンバーでツーリングしょうと誓い合って深い眠りに入りました。

最後まで読んで頂いて有難う。

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