石川県北陸山中温泉真夜中自転車ツーリング?

4月とはいえまだ肌寒い初旬にドラマの幕開けです。
今年で還暦を迎える某建設会社の社長が石川県山中温泉の名門旅館での宴会の席で、
俺はまだ若い今度は自転車で来るでーと、よせば良いのに女将ゃ仲居頭ゃ板長に言ってしまいました。
そしてこんな約束までして。
もし無事に到着すればスイートルームで、夜は板長の特別料理そして朝はすき焼きを食べさせる事。
酒の席の話とは言えども自転車で山中温泉は大変だと社長を仲間達が説得しても、
行くんゃーの決意は変わらん見たいなので、冗談だと思い再度聞いても本当に行くんゃー
ほんなら行くかと言ったら?
あぁーー行くでーー、お前らも行くんやでー、と聞かされ勘弁してよー、
と言いたい所を状況と空気が断る言葉を見つけ出せずに半ば強引に行くことになりました。

後日に教えてもらいましたがこんな約束したのは俺には仕事以外に本気で遊んでくれる友達がいることを、
女将を良く知っている社長は見せたかつたんゃー、と聞かされました。
かくして山中温泉自転車旅行の幕開けとなりました・・・・
4月12日の午後20時に京都より自転車を乗る男4名、スタッフ2名、
搬送車1台、先頭車1台で出発しました。

 

紀行文
当日は天気も良く星空がとても綺麗で風も無く良い条件でした、
参加者が仕事を終えて1時間前より集まっていました、
見送りの家族や仕事関係の人達や自転車仲間も来ていました。
そして最後のミーティングで各自が決めた約束事を確認して、一路山中温泉目指してペダルを踏み出しました。

メンバーは建設会社社長、整体士、喫茶店マスター、
サラリーマンのわたくしで4名、車で伴走してくれる運送業の兄ちゃん、
搬送車を転がしてくれる金融業社長とで総勢6名で京都から逢坂山を越えて滋賀県に入り161号線を福井県敦賀市にと進むのですが夜の国道は以外と長距離トラックが多く、道幅の狭い国道では風にあおられ、小さなライトで走行する自転車には思いのほかに緊張しましたが、やがて琵琶湖の湖岸を走る湖西道路に出たときは真夜中に大人が自転車に乗って静かな道を月明かりの下で走っているとは、何とも楽しいではありませんか時々搬送車が我々の後方よりヘットライトで照らしてくれるので有り難かったし、大変心強いですが、自転車のスピード(25キロ位)で走行するのだから大変だ、本当にご苦労さんですと思いました。
民家の明かりも消えた街中を走るのも夜中ならではなので、車や、歩行者に気を取られる事無く道一杯に走れることが出来ますが時々車も来るので注意も必要かも、しかし車の運転者もこんな夜中に自転車を派手な格好で、電飾を点滅させながらの4台と遭遇したらどうなんだろうか?
私くしはとても薄気味悪く恐怖心すら感じることでしょう、しかし日本は本当にそう思うと安全な国だと改めて思いました一番危ないのは私たちかも知れない。
そうこうして走っていると夜中の0:00時に今津町を通過して、いよいよ滋賀県より福井県に行くために越え無ければいけない峠、国境より敦賀峠にと立ち向かうのですがこの区間は本当にきつく怖い思いがしました。
トラックがどんどん、うじや、うじゃと追いかけては追い抜く訳ですが対向車線もトラックがどんどん、うじや、うじゃ・・・・
道路が狭く急カーブで数回トラックを止めたりもしました、トラックがカーブを勢いよくまわれば自転車4台が目に飛び込んでくる、カーブで追い越せば内輪差で自転車を巻き込んでしまう、トラック運転手にしては迷惑であり危険な事ばかり、まさかこんな夜中に峠を、トトロじゃあるまいし猫バスにしか見えないのだろう!!
しばらくするとだれとなく身体の危険を感じて、提案・・・、
審議の結果ここは車で搬送する事にしました。
勇気ある決断だと皆で納得しましたが心の中は、良かった・・・・が本音。

夜中の2時前には無事に峠を下った所の敦賀バイバス入り口より再スタートをしました。
やがて左手に真夜中の日本海を眺めながら国道8号線を相変わらず長距離トラックの中を走り抜いて8号線とは別れて(よかった)
今回のハイライトでもある越前海岸有料道路を走り、貸切状態の国道305号線を一路石川県三国町目指して自転車の旅は続きます。

真夜中でも誰一人と眠気も訴える事なく後方よりの伴走車のライトに守られて、左には相変わらず真っ暗な日本海を眺めながら、道路も猫一匹も通らない貸し切り状態なので各自の思い思いのペースで、足取り軽くペダルを踏み込んでの真夜中のサイクリングが続きます、河野村を過ぎたあたりでは4名はかなりバラバラの状態で楽しんでいたのですが、先導車がもう少し固まって走らんとはぐれてしまうでぇーとの助言の甲斐もなく・・・・
休憩ポイントで暖かい飲み物と、バナナを食べながら待つこと数10分、おかしい喫茶店のマスターが来ない、まさか海に転落したのでは、いや身体が冷えてトイレ?
しかし遅い、百戦錬磨の強者がどうした?
蛍のともしびと、すこぶる明るい二本の光軸、来た、来たでぇーーと、誰かの雄叫びと同時に全員が総立ちで出迎えるとマスターいわく、あんまり静かで気持ちよくなったのでついつい居眠りしていたら漁村の船着き場に軟着陸してしもうたんや、との弁明でしたが後ろに付いていた伴走車によると、突然ふらふらと右、左にと蛇行運転が始まり警笛で知らすが反応なし、やばいと思った時はすでに視界から消えてしまったのであわてて駆けつけてみると、防波堤に自転車と共に仲良く絡みついていたとの事を聞かされました。
要するに居眠り運転でしたが、怪我もなく大事には至らなく自転車を点検して無事に出発出来ました。
これより先は漁村の村内を通過するので全員がはぐれる事の無いように集団走行で越前岬を目指して少し足取りが重くなったペダルを踏み込んでの走行を平和に何事も無く時間の経過も忘れて淡々と進んでいきました。
途中で10分ほどの休息をしては又走る事の繰り返しで、あんなに元気だったメンバーからは会話がとぎれがちになってきました時間は夜中の3時位でしたか、突然に後方の伴走車のライトが途切れてしまいましたが、トイレでもしとるんやろーと気にもせずに走っていると、何とこんな真夜中にシルバーのベンツ600SL・AMGツードアの珍しい車がボッシュの甲高い警笛をピコピコ鳴らして我々の前に滑り込むように割り込んで来た時はさすがの我々も顔面蒼白、止まりよったでー、どうするんやろかー、伴走車が何かしたんやろうか?
寒さと眠気で走行していたので後方の出来事など誰も見ていなかったので心配していると(本当は自分たちの事を)ナンバーを見て全員にっこり笑顔・・・
○○はんや!
久しぶりのご対面でスタッフと我々も日本海の波音の聞こえる駐車場でいつもの馬鹿話に話が弾み、今までの眠気と疲労感を忘れてしばし夜中の宴会が始まりましたそして一同感動したのです○○はんは我々が出発した時間に間に合うように香港から一人早く帰って来て見送る予定が、事情で遅れてしまい見送れんかつたので北陸自動車道から305線とばして今追いついたんや、との話に一同感謝と敬意を感じずにはいられませんでした。
自転車の4名はあまり食べられないのでスタッフの2名にゆだねて色々と自転車の話に華を咲かせていると、差し入れやー、と香港で買ってきた牛の臓物から取り出した貴重で、凄く高価な漢方薬を頂きましたが怪しげな物(精力剤)だったので後日に飲むこととしておみやげとして持ち帰りました。
そして時間は過ぎ去り4時を過ぎていたので日の出まで車内で仮眠することにしました。
○○はんはここで帰るわ!
と言って旅館に着いたら皆んなで美味しい物でも?
食べやー、と大枚数枚建設業の社長に手渡して図太いトルクのエンジンノイズを残して風のごとく闇夜にカッ跳んで行きました。
遊びのつもりで始めた今回の企画がこんなにも人に感動を与えるとは考えても見ませんでしたので、改めて気持ちを引き締めて完走を決意した次第です。

いよいよ最終目的地北陸山中温泉は近い、果たしてこれから順調に到着するのでしょうか?
夜明けの気持ち良さも手伝い自分でも信じられないハイペース
後ろを振り返ると誰もついて来ない、気をよくして一人足取り軽く、ペダルも軽く、
しかしおかしいやん??!
いつもなら誰かが負けじとついて来るはずなのに・・・・・
気がついた時には遅かりし
今回は俺がやられてしまった、不覚だった、無念じゃー
そうなんです、これでは終わらないのが恐ろしい事しかりで・・・・・
全員が追いつき小休憩しながら雑談していると・・・・・
そのとき間髪を入れず喫茶店のマスターがえらいことを提案しょる、車組も含めてここまで全員が無事にこれたので後少しの距離(約20km)を残して北陸山中温泉、翠明にゴールする事になるんやが最後に4名でレースしないと言い出したので、やばいやんと思い、俺は後少しで無事にゴール出来るのでここは全員が喜びを噛みしめて走ろうと言っても誰一人として聞き入れてもらえずに社長の一声でレースする事になり、顔面蒼白、身体はだるい、自慢の足は上がってしまっている。
ダッシュすれば酸欠状態になる、要するに先ほどの頑張りで体内に乳酸が蓄積してしまい半日は乳酸が体内から抜けない状態でしかも最後の5kmはただひたすらに登り、しかしこのメンバーで泣き言は言いたくないのでやせ我慢して面白そうなのでやりまひょ!
の一声、本当に馬鹿である。

幕は落とされた、全員が最後のラストラン、こちらも負けじとペダルを精一杯踏み込み、先頭争いに加わるがしばらくしてまたもや足が硬直しだしたが負けじと頑張るが離れていく、やがて最後の登りにさしかかった時には意識もうろう、酸欠状態で、身体が脱水状態、たまらず自転車から降りてその場にへたり込む、心配そうに後続に付いていてくれた伴走車の運送屋の兄ちゃんが、顔色よくないでっせ、無理せんとここまで来たのだからフラフラして自転車を転がしても危ないし、落車するでーーと優しく助言、俺の車に自転車積んで旅館まで運んで行こうか?
嬉しいお言葉でしたがここまで来て今夜の宴会のさかなにはなりたくない、歩いてでも行こうと強く自分自身に言い聞かせて、兄ちゃんに伝えると、社長が多分バテよるからその時はこれ飲ましてやれと預かっていた特性のローヤルゼリーと紅茶を混ぜたドリンクを飲ましてもらった時は、何とこしゃくなタイミングが良すぎるやんか・・
有り難いと感謝しつつも悔しい気持ちとで複雑な心境で、残りの数キロの登り坂をママチャリのおばちゃんや、爺さんに追い越されながらにもリタイヤする事無く最終目的地の山中温泉街、あやとり橋を左手に見ながら旅館翠明に最後にゴーーールしたのでしたが・・・・・
何と玄関前に20数名の出迎えや、太鼓の音、拍手の音、確かに聞こえた、やっとこれで終わったと感動すると同時にその場にヘタリ込んでしまった、周囲で何か大勢が言っていたがしんどさと、ホッコリした安心感で今でもハッキリとは記憶にないが、何となく感激した事は身体が覚えている、しばらくするとロビーでスタッフを含め総勢六名が感激の中、何故か大福饅頭?
そして熱いお茶を頂き女将から花束を全員が貰い記念撮影して、自慢の温泉にスタッフと我々が入りその夜は疲れているはずなのに大宴会、全員が夜遅くまで自転車の話や、おいらがバテた話で盛り上がり誰一人と寝る者は居なかった。

最後に・・・・・

はじめは冗談半分、遊び気分でスタートしたのでしたが時間が経過していくと、身体も疲れ、ペース配分の事や体調維持、スタミナの確保、そして何よりもチームワークの大切さを改めて思い知らされ、それ以上に好きな事に本気になれる仲間がいる事を再確認出来た、苦しくも楽しかった自転車旅行?でした。
又、一番若い私をバテさして最後に盛り上げる、何て心憎い演出まで考えて頂き本当に楽しかった事を書いて終わります。

今から7年前の京都でまだサラリーマンしていた時代に、自転車好きが旅した事を思い出しながら
書きました
自転車でこんな遊び方も出来るので何かの参考に? なれば良いのですが・・・・・・
最後まで読んで頂いて有難うはんどした。

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